会社倒産までの苦闘と地獄ロード~そして再起へ

倒産までの経緯~その後に大変な地獄が待っていました。当時乗り越えた知恵とノウハウを苦しんでいる方に。

2社目の設立

事業が大きくなることで、法規制や地方などでの業務遂行の関係もあり
2社目を設立することになりました。1社目の設立から5年目のことです。
これに合わせ1社目の増資を行い資本金を1500万円にしました。


2社目を設立すると、当然ながら現地との往復など手数が増え、
本来なすべきことの仕事が遠のき、いわゆる社長業が多くなります。


また、市中銀行さんからの評価も上々(資力が無いのがマイナスですが、
創業社長で営業成績が高く年齢が若い、などの評価点がそれなりに良いらしい)で
資金需要の要望を聞きに頻繁に来社して頂くことが多くなりました。


総体の事業的には地方での単独売上が増えることになり、連結の決算は飛躍的に
伸びることに繋がります。


反省すべきは、
この時点で責任ポジションの人材を徹底的に育て上げることでした。
兎にも角にも頭脳と技術を自分に集約させていたことで、自分自身の身動きが
取れない状況に陥っていくことは、後々気が付くことになります。

プロフィール 5

意外なほどアッサリと融資を受けたことで、これから始まる苦闘と
大きな勘違いをしていくことになりました。


①決算書の結果次第(右肩上がり)であれば銀行の評価は高い。
②そのためには営業に注力して何が何でも取引開拓が第一優先。
③創業社長として事業(会社)の全てが自分に集約している。


今、考えると恥ずかしさと若さゆえ極端に偏った思考だったと思います。


この後、取引先が増えて行くとともに内部留保が不足し、その都度
運転資金を借り入れるスパイラルにはまってしまい、一度に借入れる金額も
次第に大きくなり、一度に数千万円を借入れることも出てきました。


いわゆる売上が増えているのに、現金が無く赤字状態という状況です。

プロフィール 4

初めての銀行からの運転資金借り入れは300万円でした。
いわゆるお付き合いの印としての双方ともに苦にならない最適な金額でした。


その時一番驚いたのが、初年度の決算書だけで他に必要な書類や煩わしい保証人など
不要でアッサリ振り込まれたことです。


後になって心に染みてくるのですが、
『晴れの日に傘を差し出してくるが雨の日には傘を貸してくれない』ということの
典型でした。


そうとは知らず、実績と結果次第で融資も割と簡単に下りるんだなと、変な自信にも似た感情が芽生えたのも若さゆえの至らない所でした。


兎にも角にも資金留保が出来たことで、より大きな取引先を求めて事業の本質と
本来やるべきことを見失い、さらに営業開拓へ邁進して行ったのです。


この時点で取引先は大手3社を含む全30社を超えていて、ここまで、ほぼ一人での
営業開拓で完全に自信過剰になっていた事は云うまでもありません。


今に思えば
本当に未熟な危うい青年経営者としての会社設立2年目でした。