会社倒産までの苦闘と地獄ロード~そして再起へ

倒産までの経緯~その後に大変な地獄が待っていました。当時乗り越えた知恵とノウハウを苦しんでいる方に。

プロフィール 4

初めての銀行からの運転資金借り入れは300万円でした。
いわゆるお付き合いの印としての双方ともに苦にならない最適な金額でした。


その時一番驚いたのが、初年度の決算書だけで他に必要な書類や煩わしい保証人など
不要でアッサリ振り込まれたことです。


後になって心に染みてくるのですが、
『晴れの日に傘を差し出してくるが雨の日には傘を貸してくれない』ということの
典型でした。


そうとは知らず、実績と結果次第で融資も割と簡単に下りるんだなと、変な自信にも似た感情が芽生えたのも若さゆえの至らない所でした。


兎にも角にも資金留保が出来たことで、より大きな取引先を求めて事業の本質と
本来やるべきことを見失い、さらに営業開拓へ邁進して行ったのです。


この時点で取引先は大手3社を含む全30社を超えていて、ここまで、ほぼ一人での
営業開拓で完全に自信過剰になっていた事は云うまでもありません。


今に思えば
本当に未熟な危うい青年経営者としての会社設立2年目でした。

プロフィール 3

取引先が増えると必然的に支払いサイトの関係でつなぎの現金が必要になります。
発展途上にあった小社も売上が右肩上昇しているにもかかわらず、慢性的な運転資金の
枯渇状況がありました。


この時に一歩立ち止まる勇気が自分にあれば、結果が違う形だったのかもしれません。
身の丈に合わせて着実に歩むことも会社経営には必要なことと今は思えます。


若さゆえ、いわゆる『イケイケどんどん』で営業開拓に邁進していました。
小社において、取引先が増え全体の仕事量が増えるということは、人材育成が
追い付いていないわけですから、質の低下を招いていることは薄々感じていました。


しかし背に腹は代えられぬ。


右肩上がりの実績に酔いしれていた自分自身がいたと思います。
取引先が増加する一途に際して、現状打破するには運転資金だという安直な考えに
行ってしまったことが今更ながら悔やまれます。


そして、会社設立から2年目に小社にとっての『終わりの始まり』
最初の銀行借り入れを行いました。

プロフィール 2

取引先の増加に伴い、一人での運営が限界になり会社を設立することになりました。


会社組織に固執していなかったこともありますが、資本金は300万円で設立しました。
役員なども多くは置かずに最低限にしました。


自分自身の技術力に全てが網羅していると考えていたことと、営業も含め運営の全てを
取り仕切っていたこともあり、若さゆえ会社とはどうあるべきか?ということを
熟慮していなかったことを今更ながら思い浮かべます。


この頃から売上も毎月倍々で伸びて行き、設立初年度の年間売上が1億に乗る規模に
なりました。従業員も増えていき人材を育成しなければならず、本来の技術力勝負の
部分が疎かになっていることに、焦りと怖さを感じ始めていたのも覚えています。



地元信金さんが『運転資金は必要ありませんか?』



と、頻繁に来社してくることも丁度この頃からでした。