会社倒産までの苦闘と地獄ロード~そして再起へ

倒産までの経緯~その後に大変な地獄が待っていました。当時乗り越えた知恵とノウハウを苦しんでいる方に。

設備資金の借入

取引先が増えるとそれまで手作業で行っていたものから、機械作業に移行すべきだったり
工場が手狭になったりとハード面での更なる向上が求められます。


小社においても連結売上が2億円に手が届くころ、設備資金を借入する判断に迫られました。設立6年目~7年目のことでした。


運転資金の借入で変に慣れている事と銀行さんの勧めもありましたので
躊躇なく設備資金の借入を申し込みます。3千万円でした。


ここで反省すべきは
①本当に機械導入すべき次元なのか、機械を遊ばすことにならないか。
②人材雇用でカバーできることは無いのか。


機械導入や規模拡大に見栄えの良さを求め虚栄心が強くあったのだと
今更ながら恥ずかしくなります。

2社目の設立

事業が大きくなることで、法規制や地方などでの業務遂行の関係もあり
2社目を設立することになりました。1社目の設立から5年目のことです。
これに合わせ1社目の増資を行い資本金を1500万円にしました。


2社目を設立すると、当然ながら現地との往復など手数が増え、
本来なすべきことの仕事が遠のき、いわゆる社長業が多くなります。


また、市中銀行さんからの評価も上々(資力が無いのがマイナスですが、
創業社長で営業成績が高く年齢が若い、などの評価点がそれなりに良いらしい)で
資金需要の要望を聞きに頻繁に来社して頂くことが多くなりました。


総体の事業的には地方での単独売上が増えることになり、連結の決算は飛躍的に
伸びることに繋がります。


反省すべきは、
この時点で責任ポジションの人材を徹底的に育て上げることでした。
兎にも角にも頭脳と技術を自分に集約させていたことで、自分自身の身動きが
取れない状況に陥っていくことは、後々気が付くことになります。

プロフィール 5

意外なほどアッサリと融資を受けたことで、これから始まる苦闘と
大きな勘違いをしていくことになりました。


①決算書の結果次第(右肩上がり)であれば銀行の評価は高い。
②そのためには営業に注力して何が何でも取引開拓が第一優先。
③創業社長として事業(会社)の全てが自分に集約している。


今、考えると恥ずかしさと若さゆえ極端に偏った思考だったと思います。


この後、取引先が増えて行くとともに内部留保が不足し、その都度
運転資金を借り入れるスパイラルにはまってしまい、一度に借入れる金額も
次第に大きくなり、一度に数千万円を借入れることも出てきました。


いわゆる売上が増えているのに、現金が無く赤字状態という状況です。